「近世からつづく商家と流通の歴史
門司港の岩田商店はいかに時代の海をわたったか」

卒論

北九州市立大学文学部卒
岩田商店をテーマに卒業論文を執筆
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上田 雄大

岩田商店と門司港の歴史

  • 江戸から続く古い商家
  • 旧岩田商店の家屋は、福岡県北九州市門司区東本町に位置する北九州市指定文化財である。所有者である岩田基氏は、大学で声楽を学び、現在は蔵を改装し、ウィーンで学んだ声楽を披露するコンサートを開いている。
  • 岩田商店は基の祖父母によって創業された酒店である。創業後まもなく建てられたこの家屋は、いくどもの災害や戦争被害から逃れ、2022年に築100周年を迎えた大正期の優れた町家建築である。
  • 岩田家は岡山にゆかりのある家系であり、その歴史は江戸時代中期にまでさかのぼる。旧家の一部は今も現存しており、江戸時代の岩田家は、北前船の寄港地であった玉島港の廻船や繰る綿問屋であった。
  • 明治時代を迎え日本に近代化の波が押し寄せると、蒸気機関の導入によって船の大型化や鉄道網の敷設が開始される。流通の主体が帆船から汽船へ移り、さらに鉄道へと移行する。大型化した船に対応できなかった玉島港の賑わいが衰えはじめるころ、岩田家は火事をきっかけに門司港へ進出した。
  • 当時の門司港は特別輸出港として開港し、瀬戸内海地域に加え大陸との航路を結ぶことで、国内外から物資や人々がゆきかう国際港となっていた。この時期の門司港では出光など多くの企業が生まれている。岩田家は、ビールの需要と鉄道による流通に注目し販路を広げる。
  • 国際色豊かな往年の門司港
  • 日露戦争や第一次世界大戦によって酒類の需要が高まり、料亭や駅の食堂車などの卸売りも増加した。戦時中に海外進出をせず、空襲の被害も逃れた岩田商店は、戦後も事業を展開していく。基の父・一三は、1975開通の山陽新幹線での酒類販売権も獲得している。
  • 門司港の国際色豊かな文化的背景から音楽家としての基は育った。跡取りとして期待されていた妹が婚出したため、ウィーンでの留学から帰ってきた基は店を継ぐことになる。しかし、時代が平成に入り、酒類販売業に規制緩和が施されたことで流通が変わり店を畳むことになる。借金を負うことなく資産を整理した基は、岩田商店の蔵を自身の声楽を発表する場所として改装し、今に至る。
  • このように岩田商店の歴史は、その時々の世相を映す鏡であり、基の生き方は門司港のひとつの輝かしい時代が生んだ最後の光でもある。
  • 旦過市場の火災による大學堂の取り壊しを知った基は、旧岩田商店の家屋を新しい大學堂の拠点として活用することを提案し、2022年10月門司港に大學堂・岩田講堂が生まれた。

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